誰も待たなくていい社会へ
畑野智美『神さまを待っている』を読んだ。
以下ネタバレあり。
水越愛は文房具メーカーに勤める派遣社員。
「3年後には、正社員にすることを検討する」という約束を信じ、誰よりも必死に仕事をしていた。
しかし、会社の経営が芳しくないということから契約を満期で切られてしまう。
頼る家族も友人もおらず、失業保険でつないでいたが、それも尽きてしまう。
アパートに住むこともできなくなり、彼女はネットカフェでの生活を余儀無くされる。
そこで出会った同じような立場の女性から、「出会い喫茶」を勧められる。
とにかく終始重たい。
現在の貧困女子の生態がリアルに描かれている。
愛のように派遣の打ち止めや、高額な奨学金の返済を背負わされている女性、シングルマザー、親からの虐待により家に帰れなくなった少女。
様々な立場の女性が「今」を生きるために自分を殺している。
「生活保護」などの制度があることがわかってもどうやって手続きをすればいいかわからない、役所の人間に冷たくされるなど、自分だけではどうすることもできないまま生きている。
タイトルにある「神さま」は、
帰る場所のない女の子たちを泊めてくれる男の人のことを「神」と呼ぶ。
なんて悲しい「神さま」だろう。
それでも行く場所のない少女たちにとって、場所を与えてくれる男の人は間違いなく「神さま」なのだ。
貧困というのは、お金がないことではない。
頼れる人がいないということだ。
愛には結果的に頼れる人が現れる。
それはずっと愛のことを心配していた役所に勤める同級生だ。
愛は彼と彼を取り巻く人たちに救われる。
私はこの結末に少々納得がいっていない。
最後があまりにも都合のいいように展開していくからだ。
愛は、自分は家族にも友達にも頼れないと思い込んでいただけで、実際は心配し、愛を探し続けてくれる人がいた。しかも、福祉課に勤める同級生。
あまりにもできすぎている気がする。
現実にはそんな人は現れない。
小説だから、最後に希望を持たせたのかもしれないけれど、なんだか納得がいかなかった。
誰かに頼ることに罪悪感を抱く人もいる。頼りたくても頼れない人もいる。
もし頼れる人がいてくれたなら、きっと誰も「神さま」を待たなくて済むのだろう。
願わくば、誰もが「神さま」を待たなくていい社会であってほしい。