まるっとミミ吉

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あの日の記憶

2011年3月11日。

この日自分が何をしていたのか、明確に覚えている。

 

大学の卒業式だった。

私は式典というものが苦手で成人式にも出なかったし、卒業式も出ないつもりだった。

しかし母と友人に説得され、渋々出ることとなった。

周りの子たちが袴姿で綺麗にしている中、スーツ姿の私は浮いていた。

化粧もしていない私は、自分がなぜここにいるのかわからなかった。

それでも友人たちと話す時間は楽しかった。

就職で県外に行く子もいたので、実質お別れ会みたいな雰囲気だった。

最終的に、「行って良かった」まで気持ちがいったので、説得してくれた母と友人には感謝している。

 

何かがおかしいと思ったのは、帰りのバスだった。

私が通っていた大学は山奥にあり、スクールバスが出ていた。

スクールバスは海沿いを通るいつものコースを、普段通り走らせていた。

私は卒業式の疲れからか、うとうととしながら時折友人と話したりしていた。

突然無線が入ったのは、そんな時だった。

スクールバスの無線から漏れ聞こえて来たのは、「津波」という言葉だった。

私と友人は顔を見合わせ、「津波だって」「また海外のどこかかな」という会話をしていた。

どこか海外の国で地震が起こり、津波が発生したのだろうか。

でもなぜそのことを無線で伝えて来たのだろうか。

結局その後何事もなく、スクールバスはいつもの停留所に停まった。

 

友人と別れ、家に帰った私を待っていたのは、現実とは思えない光景だった。

母が、

「大変なことになったよ」

と言い、私をテレビの前に引っ張っていった。

その光景について描写できる力を私は持たない。

ただただ、現実とは思えない光景の連続に、最初これが日本で起こっていることとは理解できなかった。

なぜ、どうして。そんな言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡った。

私は自分がその日4年間通った大学を卒業したという感慨に浸ることもなく、今日という日が現実でなければいいのにと思うことしかできなかった。

 

大学を卒業して8年経った。

あの光景を見た日から8年経った。

私は何か変わっただろうか。日本は良い方向に変わっただろうか。

きっとこれからもこの問いを私は続けていくだろう。

 

あの日自分が何をしていたか。何を思ったか。

これからもこの記憶が風化することはないだろう。