これも「卒業」の形
昨日急に思い立って部屋の片づけを始めた。
今度の休みに片づけようと予定しておきながら、思い立ってしまったのだ。
思い立ってからの行動は早い。
いらないものはどんどん捨てていく。
必要な物は収納スペースに収めていく。
どんどん捨てながら、ふと手に取ったクリアファイルを見てギョッとした。
そこに入っていたのは体調を崩して辞めた職場の書類だった。
もう年月が経っているのにまだあったのかという驚きと、こんな物を取っておくほど片づけてなかったのかという驚きだ。
ここ何年か部屋の片づけをしていなかった。
足の踏み場はあるし、掃除はしているため汚部屋とまではいってなかったので、色々と見ないふりをしてきた。
生活できていればそれでいいという程度の認識だった。
それなのに急に片づけ始めたのはなぜなんだろう。
小池みきさんのマンガ『家族が片づけられない』を読んだからだろうか。
最近のこんまりさんブームに影響されたからだろうか。
いや、ちがう。
私は「部屋を片づけられない自分」に嫌気がさしていたのだ。
休みも、暇な時間もあるのに片づけられない。
これが快適な部屋なんだと自分に言い訳して、多くのものを見ないふりをしていた。
そんな自分から「卒業」したいと唐突に思ったのだ。
ふと我にかえると、手には書類の入ったクリアファイル。
当時の私には捨てられなかったからここにあるのだ。
でも今の私はちがう。
私は何のためらいもなくクリアファイルごとそれらを捨てた。
その時、やっとその過去から離れられた気がした。
部屋を片づけるというのも「卒業」の形なのかもしれない。
過去から卒業できた私は、片づけた部屋でゆっくりと眠った。