向き合った先にあるもの
こだま『ここは、おしまいの地』を読んだ。
以下、ネタバレあり。
私はヤンキーと百姓が九割を占める集落で生まれ育った。
芸術や文化といった洗練されたものがまるで見当たらない最果ての土地だった。
「おしまいの地」で暮らした過去のこと、家族のこと、病気のこと、そして今のことを赤裸々に綴っている。
どれも驚くような内容なのについ笑ってしまうのは、こだまさんの文章の上手さにあると思う。
過激な母親に育てられたことも、妹2人を殺しかけたことも、首に新たな命が宿ったことも、どれも誰しもが経験したことではない。
ないはずなのに、どこか共感させる。その気持ち、わかるよと言いたくなる。
私が一番好きなのは、「川本、またおまえか」。
川本はこだまさんの小学校からの同級生で、事あるごとにこだまさんの容姿をからかったりする。そして、それで笑いを取る。絶対に関わりたくない最低なやつだ。
川本のせいでこだまさんは恥ずかしい思いも、嫌な思いもする。
だけど、この章、最後に意外な展開が待っている。
単純な私は川本を好きになりかけた。でも過去のことは絶対に許さん。
こだまさんのすごいところは、元々作家でもエッセイストでもないということだ。
それなのにこの文章の上手さはなんなんだろう。
それはこだまさんが自分や自分の過去に向き合った結果だと思う。
自分に向き合うのは難しい。恥ずかしいし、苦しいし、いいことばかりではないからだ。
それでも向き合った先には、何か特別なものがあるのだと信じさせてくれる。
それがこだまさんの文章だと思う。
まだまだこだまさんの文章が読みたい。