苦しくて、切なくて、幸せ
少年アヤの文が好きだ。
こちらを散々苦しめて切なくさせて、最後幸せにさせる。
そんな文を書ける人を他に知らない。
『ぼくは本当にいるのさ』は、その最たるものだ。
「透明人間」になりたいと思った「ぼく」は、自分が大切に集めていたおもちゃを売り払うことにする。
それを持っている限り、「ぼく」は透明になれないからだ。
しかし、何の因果か「ぼく」は売りに行った先の骨董品屋で働くことになる。
働きながら、色んな人や物に出会いながら、「ぼく」は自分に向き合っていく。
透明人間になろうとする様は読んでいて苦しくなる。どこか身に覚えがあるからかもしれない。
自分に向き合っていきながら、それは子どもの頃の自分を肯定することにつながっていく。
私が一番好きなシーンは、友人のめぐるとポケモンを買いに行くところ。
子どもの頃、本当は欲しくなかったポケモンのゲームを父親に買ってもらった「ぼく」は、結局そのゲームをクリアすることなく(それどころか最初の方でつまづいた)捨てた。
それを聞いためぐるが、
「海はずっと海んとこあるから今度ね。今日はポケモン買いにいこ。そんで、今度こそクリアしてみようよ。トキワの森・・・キャタピーのいる森は、あたしが助けてあげるからさ」
そして「ぼく」とめぐるはポケモンのゲームを買い、ついにクリアする。
「で、どう、感想は?」
「わかんない!だけど、なにかおおきな動きが、こころのなかではあった気がする!」
めぐるは他にも「ぼく」の透明化の協力をしてくれるけど、それと同時に「ぼく」が過去に向き合うことをさりげなく支えてくれる。
こんな友達がいるなんて「ぼく」がうらやましい。
「ぼく」が自分に向き合っていき、最終的にどうなるのか、その過程も含めてぜひ読んでもらいたい。
その過程はこちらを苦しく切なくさせるが、読み終えた時、幸せな気持ちになることを保証する。
少年アヤがいてくれてよかった。
「ぼく」がいてくれてよかった。