私はあなたの話が聞きたい
たまに人と話していると主語がその人じゃない時がある。
例えば、これ大学の時の同級生男子の口癖だったんだけど、
「うちの姉が」
いや、あなたのお姉さん知らないし。私はあなたと話しているんだけど。
これレアケースかと思っていたら、以前勤めていた職場の女性上司の口癖も、
「うちの姉が」
いや、あなたのお姉さん知らないし(第2弾)。私はあなたと話しているんだけど。
たまにだったらいいのだ。
私も「うちの母が」だったり、「私の友人が」だったり言っていることがある。
しかしそれがほぼ毎回となると少々うんざりする。
それが会話をする上での必須事項かと聞かれたら「ノー」だからだ。
私はあなたの話を聞きたいのだ。あなた以外の人のお話はあなた以外のその人から聞く。
そのワードが出てくるだけで、「この話、別に私としなくてもいいのでは」と思ってしまう。
または「この会話も「うちの姉」に筒抜けなのでは」と疑ってしまう。
家族を大切に思うことはとてもいいことだし、お姉さんと仲いいんだなと微笑ましくもある。
それでも限度というものは存在する。
あなたのお姉さんの感想は聞いていない。あなたのお姉さんが体験したことについては聞いていない。
こんな風に思う自分が神経質なのかなと思う時もあるので、五分五分といったところだろうか。
でもやっぱり主語「自分」の人と会話したい。
私は今話しているあなたの話が聞きたいのだ。
ちなみに最強のパワーワードは、
「うちの猫が」
だった。
それまでの会話をぶった切ってくるそのワードに対する答えを、私は、まだ知らない。
(別に猫好きな人を否定しているわけではなく、それまでの会話に関係ないところにぶっこんでくるから動揺するのだ。)