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1月1日、私は「好き」に救われた

2019年をジャニーズカウントダウンで迎え、母に「あけましておめでとう」を言って、私は自分の部屋がある2階に上がった。

心は限界に来ていた。

 

職場での人間関係に悩んでいて、一種のパワハラを受けていた私は、12月27日、ある人の一言でとどめを刺され、翌日初めて仕事を体調不良以外で休んだ。

もうそこには行けないと思った。

 

テレビを観ても本を読んでも、その人の言葉が頭から離れなかった。

表面上は取り繕って強気な態度を家族には見せていたが、心はずっと悲鳴上げ続けていた。

 

12月31日、ついにそれは決壊した。

私は母の前で泣いた。泣いて泣いて、母に抱きしめられた時、落ち着いたふりをした。

これ以上母に心配をかけたくないと思ったからだ。

一緒にジャニーズカウントダウンを笑顔で観た。キラキラとした世界を目にしっかりやきつけようと思った。

 

部屋に戻った私は、ベッドの上で丸まって泣きじゃくった。

泣いて泣いて泣いて泣いて。

泣き疲れて、すぐそこにあったノートを開き、最後のページに遺書を書いた。

「お母さん。ごめんなさい。大好きだよ。」

 

私は窓を開けて、足をかけた。

風が吹き込んできて、寒いせいなのか、怖いせいなのか、体がガタガタと震えた。

足を下に伸ばすと、そこは真っ暗な闇が広がっているだけで何も見えなかった。

乾いたはずの涙がまたあふれてきた。私は死ねなかった。

窓を震える手で閉めた時、私は自分に絶望した。

こんなこともできないのか。

 

また泣いた。

泣いて泣いて泣いて。

ふと、自分と同じような思いをしている人がいるのではと震える手でツイッターを開いた。

何で検索しようかと考えていると、なぜかいつも見ている人たちのツイッターを読みたくなった。

そして、呆然とした。

そこにはたくさんの「好き」があふれていた。

ジャニーズカウントダウンへの熱い想い、紅白の感想、新年の抱負、大切な人への感謝などなど。

私の好きな人たちはキラキラと輝いていた。

 

すっと何かが抜ける感じがした。

なぜだか笑いがこみ上げてきた。

さっきまで泣いて泣いて泣いてだった自分の顔を鏡で見て、笑ってしまった。

そこにはボロボロの自分がいた。何者でもない自分がいた。

 

疲れ切った私はそのまま何事もなかったかのように眠ってしまった。

そして、昼前に起きて気がついた。

キラキラとした人たちに憧れたあの瞬間、死にたいと思っていた自分は死んだのだ。

 

「生きよう」と思った。

即座にツイッターのアカウントを取得した。

翌日MBAを買った。

ブログを始めた。

私も「好き」を誰かに伝えたいと思った。

 

1月4日、私は出勤した。

一回死んだ(正確に言うと過去にも何度か死んだ)私は悟った。

ここに私は働きに来ているだけだ。ここで生きているわけではない。

私にはツイッターとブログという新しい世界ができたのだ。

 

私はその職場で今も働いている。パワハラはたまにある。

でも大丈夫。私は戦う力を得たのだから。

 

1月1日、「好き」に救われた。

私はここで生きている。