『花男』より『笑点』の話がしたかったあの頃
子どもながらに周りから浮いているなと思うことは多々あった。
はっきりと自覚し始めたのは中学生の頃。
女の子たちは『花より男子』(まだドラマにはなっていなかった)や『ピチレモン』、『学校へ行こう!』の話をしていた。
毎週日曜日の日記に書くくらい『笑点』を観ていたけど、誰ともその感想を共有できなかった。
道明寺より歌丸の方が私にとってはアイドルだった。
周りが『マーガレット』や『Cookie』に移行し始めた頃も『りぼん』や『なかよし』を読んでいた。
小学校から仲のよかった友達が「もう『りぼん』は子どもっぽいから読むのやめた」と言った時はショックだった。
私は唯一人『りぼん』の話ができる友を失った。
それ以来『りぼん』や『なかよし』の話をすることは恥ずかしいことなんだと思い、心を許した友達にしか話さなかった。
亜月亮も藤井みほなも津山ちなみも私にとっては未だに大切なマンガ家だ。
周りから浮いていたところを挙げるとキリがない。
私は早く高校生になりたかった。
少女マンガ脳だったので、高校に入れば素敵な出会いがあり、なんでも打ち明けられる「親友」ができると信じていた。
私が通っていた高校は制服が可愛いという理由で人気だった。
私がその高校を志望したのは英語の勉強に力を入れているからという理由と、自分の偏差値で絶対合格できる公立の高校がそこだけだったからだ。
後者の理由が圧倒的だった。家が裕福ではなかったことと、プライドの高さから、絶対に落ちたくなかった。
無事合格した私は意気揚々としていた。
新たな出会いに胸を躍らせていた。
結論から言うと、私は高校でも浮いていた。
女子の比率が高く、県内でも可愛い子が多いと言われる高校だった。
そこに入った近視で乱視の度のきついメガネをかけたボサボサ髪の私。
おしゃれに疎く化粧もせず(校則で禁止されていた)、流行りのものも知らない。
ただ読書とマンガとアニメが好きな「オタク」というレッテルを貼られた女だった。
今でこそ「オタク」は公認されているけど、当時はまだまだ根暗なイメージが強い、「レッテル」扱いだった。
特におしゃれで可愛い女の子たちの中では異質だった。
女の子たちはマンガを読むけど、同時に『non-no』も読む。ビューラーでまつ毛を上げ、校則スレスレの化粧をし、髪はストレートパーマやアイロンで艶々だった。
そんな中でも似たタイプというのはいるもので、マンガが好きな友人が何人かできた。
私はやっと心を許せる友人ができたと喜んでいたが、彼女たちの多くはやはりおしゃれにも敏感で私のように浮いてはいなかった。
そして、また来た『花男』ブーム。ドラマ化されたのだ。
私はドラマを見るという習慣がなかったし、観るとしても夕方の再放送ドラマだったので、またブームに乗れなかった。
相変わらず『笑点』は観ていたけど、誰かと盛り上がることはなかった。
思い返してみると、中学時代より、高校時代の方が暗黒時代だった気がする。
私は流行に疎かったし、必死に周りに合わせようと、欲しくもない雑誌を読んでみたり、CDを買ってみたりしていた。
洋服もそれまでは母がいる時に買ってもらったりしていたが、お小遣いを貯めて自分で買ったりもした。
本当はそのお金をマンガやゲームに使いたかったけど、当時の私は周りから浮くことにひたすら怯えていたので、とにかく周りに合わせようと必死だった。
カラオケでアニソンを歌いたいのを我慢して流行の歌を歌った。
自分を殺すという感覚をこの頃培ったと思う。
何のかもどうでもよくなり吹っ切れる高校3年生の時まで、私は地味でニキビ面で挙動不審でセンスのないクラス1の残念な女だった。
どんなに努力しても私は浮いていた。
中学時代も高校時代も、少女マンガのようなことは起きなかった。
大人になった今でも起きていない。
それでもまあ生きているわけだ。
マンガもアニメも一旦は離れていたが、今はますます好きになっている。
色々あったけど今年で31になる。
こうやって少しずつ自分に向き合えるようになった。
向きあった先に何があるかわからないけど、もっと向きあっていきたい。