その片思い、幸せ?
そもそも幸せな片思いってあるんだろうか。
好きな人がいて、でもその思いは一方通行で、伝えるかどうか悩んで、苦しんで。
友達と恋バナで話す分には楽しいかもしれないけれど、ふと我に返った時、ズンと落ち込んだりするのではないだろうか。
そういう経験が少ないからか、ちょっと暗いことを想像してしまう。
角田光代『愛がなんだ』の主人公テルコはマモちゃんに恋をした。その恋は一方的なもので、その想いが相手に届く確率は低い。それでもマモちゃんに呼ばれればすぐに出かけ、彼からの電話に出て仕事をおろそかにし、頼まれればなんでもする。
片思い中の片思い。
仕事を失い、生活のバランスが崩れ、友人には呆れられる。
それでもテルコは不幸せでない。断言するが、彼女は幸せだ。なぜならテルコはマモちゃんに恋をしているから。彼が好きだから。
その気持ちだけで、テルコは生きていける。
テルコの片思いは応援できないし、打算だらけでマモちゃんしか見えてない姿にはうんざりする。友達にはなりたくないタイプだ。
だけど、なぜだろう。彼女の幸せを願わずにはいられないのだ。
友人の葉子には、ナカハラくんというボーイフレンドがいる。彼はテルコと同じ立場にいる。葉子に片思いし、彼女のためならなんでもしてあげたくなる。それが一方通行だとわかっていてもだ。
そのナカハラくんと2人きりになったとき、テルコは思うのだ。
おたがいがおたがいの求める人だったらどんなにいいだろう。どんなに満ち足りているだろう。手を伸ばせばすぐに触れることができ、寒さを感じたら抱きあってあたためあえる距離にいるのだから。(中略)私とナカハラくんは、つながることが可能な男と女であるのに、これほど近い位置で見つめあっても、そこに自分の姿しか見ることができない。(p97)
隣にいる彼に恋をすれば、どれだけ気持ちが楽か。片思いに苦しまなくて済むか。
それがわかっていても、テルコはマモちゃんに、ナカハラくんは葉子に片思いをする道を選ぶ。
両思いになればもっと幸せになれるのに。
もちろん両思いになりたいという想いはある。
それでも一歩踏み出せないのは、嫌われたくないから。嫌われて会えなくなるくらいだったら、隣にいられる片思いを選ぶのだ。
マモちゃんはどういうつもりでテルコといるのだろうか。
読んでいても、そこだけはぼんやりともやがかかっていて、読み終わった後もはっきりとはわからない。
テルコの気持ちを知っていて振り回しているようにも見えるし、好意を持たれていても熱烈に片思いされているとは気づいていないようにも見える。
どちらにせよ、テルコを都合のいい相手としか見てないのだろう。
そんな彼も片思いで苦しむことになるから皮肉だ。
この片思い小説は思いもよらぬ着地を見せる。
テルコが最後に下した決断に、思わず涙が出た。
テルコの片思いはいつだって幸せであってほいと強く願わずにはいられない、そんな最後だった。
幸せかどうかなんて、周りの人にはわからない。
テルコがもし友達で、マモちゃんへの片思いをつらつらと語られたらきっとあきらめるよう説得するだろう。一歩踏み出さない姿に何か言うかもしれない。
だけど、(実際はテルコと友達にはなりたくないし、)あきらめるよう言ったところで関係ないのだ。
だってテルコは幸せだから。片思いでも幸せだから。
当たり前だけど、幸せの基準は人それぞれだ。
そんなことに改めて気づかせてくれたのがテルコだった。
角田光代作品を読むのは初めてだったけど、最初の1冊がこの本でよかった。
こんなに感情が揺さぶられるとは思わなかった。
もし片思いに悩んでいる人がいたら、そっとこの本を差し出したい。
そんな片思い小説だ。