初めての韓国文学
韓国文学が最近流行っている。
ツイッターでもよく見かけるし、三宅香帆さんもcakesで紹介していたので気になっていた。
地元の図書館で検索してみると、ヒットするヒットする。
私が知らないだけで、隣の国の文学はしっかりと根付いているんだなと思った。
というわけで、早速読んでみた。
以下ネタバレあり。
ハン・ガン『ギリシャ語の時間』斎藤真理子訳
言葉を話せなくなった女と、少しずつ視力を失っていく男。
女は失われた言葉を取り戻すために古典ギリシャ語を学び始め、ギリシャ語講師の男はそんな女に関心を寄せていく。
全体的に「寂しい」感じが漂っている。
女が失ったのは言葉だけではないし、男が失ったのも視力だけではない。
言葉を失うということは、視力を失うということは、人との繋がりも失っていくということではないだろうか。
だからこそ女と男は無意識に引き寄せられていく。互いの寂しさをどこかで感じているから。
この話のすごいところはずっと「喪失」を漂わせておいて、最後の最後にきちんと「希望」を示してくれるところだ。
女と男が自分が失ったものを取り戻せる可能性は少ないのに、どこかそれを期待させる終わりを迎える。
2人は幸せに暮らしましたとさ、という終わりではないのにどこかハッピーエンドにつながるのではないかと思わせてくれる。
最後まで読まないとわからない小説に出会えることは幸せなことである。
話の途中途中で詩のような文体がはさまれるのも、この作者が小説以外に詩も書いているというので納得。
最後の訳者のあとがきもいい。この小説の疑問を丁寧にほぐしてくれる。
この本を選んだのは偶然だったが、初めての韓国文学として良かったと思う。
他の韓国文学も読んでみよう。